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32歳の若き日本人起業家?吉川真人さんと深圳との深い縁
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本誌記者?金知暁 · 2022-07-28 · ソース:北京週報 |
タグ: 起業;深圳;中日交流 | ![]() 印刷 |
中國におけるスタートアップとイノベーションの中心地であり、広東?香港?マカオグレーターベイエリアの中核都市の一つとして大いに発展を続ける深圳市。世界各地から成功を求めてこの地に集う人々の中には日本人の姿もあり、中國で年々注目を集める中古ブランド品事業を営む若き起業家?吉川真人さんもその一人だ。
人気の撮影スポットを探し、タレント?周傑倫のニューアルバムを購入し、最も愛用している小米(シャオミ)の新製品をチェックして、深圳生活でのさまざまな出來事をSNSにアップする……1990年生まれの吉川さんの暮らしは、同じ世代の中國の若者と何ら違いがあるようには見えない。だが、一人の若き経営者として、吉川さんは仕事においてしっかりとした自らの考えを持ち、経営者としての落ち著きを身に付けている。
深圳市物銀科技有限會社のCo Founder兼CDOを務める吉川真人さん(寫真=本人提供)
「日本人は謙虛で自己主張が控え目だということはよく言われますが、そういうタイプの人は中國の人たちとまともに話ができないというか、ディスカッションになりません。こちらでビジネスをする以上は自分の意見を持ち、しっかりとしたロジックで相手に伝えることが大事で、そういう努力をすることが身につきました」と吉川さんは語る。ここ10數年、中國語を學び、中國を知ることにより、吉川さんの中で大きな変化が起き、深圳に慣れるとともにそこでの暮らしを楽しめるようになった。
もっと早く深圳に來ればよかった
もともと子どもの頃から小説『三國志』などで中國への関心があったという吉川さんは、09年に同志社大學文學部に入學、11年からは1年間、中國青年政治學院へ語學留學に行った経験を持つ。帰國後も中國への関心が薄れることはなく、日中學生會議に參加して中國人學生と議論したり、文化交流會を行ったり、大學で日中言語交換サークルを立ち上げたりと、中國の発展に関心を持ち続けた。
「小さい頃、私の中國に対する印象は活力のある國というものでした。北京に留學後、特に雲南省シャングリラや新疆ウイグル自治區を旅して、中國の人々の溫かさと優しさに觸れました。この國はまだ成熟していない産業もありますが、きっと伸びる、チャンスがあると思っていました」
このような認識の下、吉川さんは大學卒業後に中國で働きたいという願いが芽生えた。だが、當時の日本社會にはリスク分散やコスト削減などを目的として、90年代から集中的に中國に投資してきた産業の一部を周辺の新興國に移転する「チャイナ?プラスワン」戦略が注目を浴びていた。吉川さんは「中國にはいつでも行ける」と感じ、まずベトナムで數年働こうと決めた。
「日本とベトナムの合弁企業に約3年勤めたのですが、途中で『これは自分がやりたいこととはちょっと違う』と思うようになりました。今考えると回り道をせず、もっと早く深圳に來ておけばよかったなと考えることもあります。そうしたら現在よりももっと、現地でのネットワークも広がっていたはずですから」
17年にベトナムから日本に戻った吉川さんだったが、やはり中國への思いは募るばかりで、攜程(C-Trip)グループの子會社や在日華僑が創設したIoT(モノのインターネット)関連企業の仕事に個人として攜わる一方、深圳への移住を真剣に考えていた。
「私の場合、両親が新婚旅行で中國に行ったり、祖父も03年頃に一人で深圳に旅行に行ったりと、家族の中に中國を嫌いな人がいなかったのですが、それでも大學時代には中國に行きたいと周りに言うと、変わっていると思われたものです。もっとも、中國に対して否定的な意見を持つ人はそもそも行ったことがなかったり、メディアが作った中國の印象を元に話したりしているケースが多いように感じます」と吉川さんは話す。
17年から19年の間、吉川さんは中國の発展に関心を持つ日本人の友人たちとともに深圳を3度訪れ、そのたびに新たな感動に遭遇した。
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