ホーム >> 中日交流 >> 本文 |
|
軸をぶらさず、一歩一歩前へ――深圳で起業の道を進む山內佑太さん
|
本誌記者?金知暁 · 2022-04-18 · ソース:北京週報 |
タグ: 起業;深圳;中日交流 | ![]() 印刷 |
「私は中國が大好きでここに來たわけではないですし、もともと起業がしたいという性格でもありません。そんな僕が中國で起業するに至った大きな要因は、広東省深圳市の環境です。そのぐらい深圳にはチャンスがありますし、起業する時にサポートしてくれる會社や人材、物を作る時のサプライチェーンなどが一番整っています。また、アジアのハブである香港地區からも近く、物の出入りが便利なのもこの深圳だと思います」。
そのようにまぶしい笑顔で自らの起業物語を語るのは29歳の山內佑太さん。深圳に住んで今年で4年目になる。2021年5月、スタートアップ企業の深圳時空壺技術有限公司(Timekettle?タイムケトル)を辭めて、一人でブランディープ(Brandeep)というコンサルティング會社を立ち上げた。
深圳時空壷技術有限公司で日本市場の責任者を務めていた頃の山內さん(寫真=本人提供)
「深圳に住んでいると時代の移り変わりやトレンドの速さが顕著に感じられますし、周りにも面白い製品がたくさんあります」と語る山內さんは現在、主に中國のイヤホンやスキャナー、掃除機ロボット、その他さまざまなガジェットなど、生活が便利になる商品を日本市場で販売する際のマーケティングとピーアールに攜わっている。
30歳までに沢山失敗して、経験を積んでいきたい
「海外に出ることで視野が広がるとよく言いますが、本當に僕は留學のおかげで人生が変わりましたし、これも縁だと思っています」。そう話す山內さんは、もともと2013年に関西外國語大學英語學科に在學中、アメリカとスウェーデンに1年間ずつ交換留學した経験を持っている。そのことを通じ、山內さんは「自分はもっとこの世界で大きなことが出來るのではないか」という思いを抱くようになった。
2015年に大學を卒業後、彼は得意の語學力を活かして2年ほど社長秘書として働いた後、2カ月ほどバックパッカーとして東南アジアを旅した。そうして日本に帰る前に香港地區で日本人社長と知り合い、その人から言われた「これからは中國の時代なのに、中國語が話せないでどうするんだ」という言葉に心を動かされ、2018年に深圳へ留學し、人生の新たな1ページを開いたのだ。
深圳大學留學中には偶然、タイムケトル社と巡り合った。當時、同社は耳に付けて喋るだけで自動的に翻訳してくれるイヤホン型AI翻訳機を開発しており、日本向けの商品説明動畫のアルバイトを探していた。ソフトとハードが融合され、素早く成長する翻訳機に、自身が持つ語學のバックグラウンドが重なったこと、ひいてはCOOの「日本市場を手伝って欲しい。一緒に言葉の壁を乗り越えたい」という夢に共感したことから、山內さんはアルバイトを経て正社員となった。その後は日本法人を設立し、日本市場責任者としても働いた。
2021年ごろ、山內さんは自分がずっと日本市場に視線を向けていて、せっかく3年も深圳に住んでいるのに、面白いプロダクトをあまり知らず、自分の成長に限界を感じていた。そのため、周りからの後押しもあり、タイムケトル社を辭めて起業することにした。
「今までは基本的に誰かの影響や勧めで自分の人生を歩んできたんですけど、それができるのは30歳までだと思います。さまざまなタイミングが重なっている今を逃したら、絶対一生起業しないと思いました。僕は失敗を避けず、沢山経験を積んでいきたいんです」。そのような思いを胸に、山內さんは人生の重要なワンステップを踏み出した。
2次のページへ |
シェア: |
|
このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
住所 中國北京市百萬荘大街24號 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
京ICP備08005356號-4 京公網安備110102005860號