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改革開放に関するキーワード:政治発展の章
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· 2018-11-21 |
タグ: 改革開放;政治発展;キーワード | ![]() 印刷 |
三、政治発展の章
真理の基準問題の大討論
真理の基準問題の討論は、40年前、鄧小平氏ら一世代前のプロレタリアートの革命家の指導と支持の下、全黨?全國の範囲で展開された大討論で、主に実事求是(事実に即して真理を求める)と「二つのすべて」の論爭として現れた。
1970年代中後期、中國は「二つのすべて」(すなわち「およそ毛主席が下した決定であれば、すべて斷固としてこれを守り、およそ毛主席の支持であれば、すべて終始変わることなくこれに従う」のこと)という誤った方針の深刻な妨害に直面した。このような狀況について、鄧小平氏は何度も旗幟を鮮明にして、「二つのすべて」はマルクス主義に合致しない、われわれは毛沢東思想を全面的かつ的確に理解しなければならない、と提起した。1978年5月10日、中央黨學校の內部刊行物『理論動態』は「実踐は真理を検証する唯一の基準だ」という文章を発表し、社會実踐は真理を検証する唯一の基準で、どんな理論も実踐の検証を不斷に受け入れなければならないなどのマルクス主義の基本原理を明確に指摘した。これは、根本的な理論から、「二つのすべて」を否定した。5月11日、この文章が『光明日報』で発表され、新華社が全國に向けて転載すると、黨內外と広範な幹部?大衆の間で強烈な反響が起こり、こうして全國が「真理の基準問題の大討論」を開始した。
鄧小平氏ら一世代前の革命家がこの討論を適時かつ有力に支持したことにより、大討論の過程は、國家がどこに向かうかという重要な課題を人々が考えるように導く過程となった。この大討論は、「二つのすべて」の深刻な束縛を突き破り、全國的なマルクス主義思想解放運動を後押しし、中國共産黨第11期中央委員會第3回全體會議(第11期3中全會)開催のために重要な思想的準備を行い、黨がマルクス主義の思想路線、政治路線、組織路線をあらためて確立するために思想的基礎を固めた。
第11期3中全會は「二つのすべて」の誤った方針を斷固として批判し、真理の基準問題の大討論を総括し、高く評価し、マルクス主義の正しい路線をあらためて確立し、改革開放の歴史的な新時代を開いた。
「撥亂反正」
「撥亂反正(混亂を鎮めて正常に戻す)」は、中國共産黨第11期中央委員會第3回全體會議(第11期3中全會)の前後、中國共産黨の黨員が「文化大革命」の混亂と誤りを正し、根本から改革を行い、黨と國家の活動を正しい軌道に進ませた活動だ。第11期3中全會以後、この活動は全面的に展開し、それは思想路線、政治路線、組織路線の三つの面の「撥亂反正」を含んでいた。思想路線の「撥亂反正」を通じて、中國共産黨は長期的に存在した教條主義と個人崇拝という深刻な束縛を斷固として打ち破り、マルクス主義の実事求是の思想路線をあらためて確立した。政治路線の「撥亂反正」を通じて、「階級闘爭を要とする」の「左」の誤りの方針を斷固として放棄し、黨と國家の活動の中心を経済建設に移し、改革開放を実行するための歴史的方策を打ち出した。組織路線の「撥亂反正」を通じて、実事求是、誤りがあれば必ず正すという方針に基づいて、冤罪?でっち上げ?誤審事件の判決を覆し、幹部政策を実施し、いくつかの歴史上殘されてきた問題を解決し、同時に、革命化、若年化、知識化、専門化の方針に基づいて新舊交代を実行し、幹部の人材育成を強化した。経済活動において、「調整、改革、整頓、向上」の八字方針の実行をしっかりと貫き、経済活動に長期的に存在した「左」の誤りを徐々に取り除いた。要するに、「撥亂反正」は中國に、思想の解放、経済の発展、政治の発達、教育の勃興、文蕓の繁栄、科學の春をもたらした。
「新中國成立以來の黨の若干の歴史的問題についての決議」
中國共産黨第11期中央委員會第3回全體會議(第11期3中全會)の前後、中國共産黨は思想指導と各戦線の混亂をしずめて正常に戻す活動を行った。この過程において、黨內外の一部の人々が社會主義と黨自體にいささかの疑いを持ち始め、毛沢東氏の一生の功績と思想の正當性にもいささかの正しくない考えを持った。「新中國成立以來の黨の若干の歴史的問題についての決議」はこのような歴史的背景の下で起草されたものだ。その起草作業は1979年11月に始まり、長期間にわたる討論と修正を行って、1981年6月の中國共産黨第11期中央委員會第6回全體會議で全會一致で可決された。
決議は、新中國成立以來の黨の重大な歴史的問題、特に「文化大革命」、毛沢東氏の功労と過失、毛沢東思想の基本的內容と指導的意義について、総括と評価を行った。「新中國成立以來の黨の若干の歴史的問題についての決議」は「文化大革命」と「プロレタリアート獨裁の下での革命継続」という誤った理論を根本的に否定し、一部の重大な歴史的事件と重要な歴史的人物に対して実事求是の態度で評価を行い、中華人民共和國成立以來の社會主義革命と社會主義建設の歴史的経験を科學的に総括し、第11期3中全會以來徐々に確立された中國の國情に合致した社會主義現代化強國建設の正しい道を肯定し、中國の社會主義事業と黨の活動が前進を続ける方向を一歩進んで明示し、全黨の思想を統一した。決議は毛沢東の歴史的地位を実事求是の態度で評価し、中國共産黨の指導思想としての毛沢東思想の偉大な意義を十分に肯定した。
八二年憲法
1982年に公布、施行された「中華人民共和國憲法」は「八二年憲法」と略稱され、中華人民共和國の四つ目の憲法で、第5期全國人民代表大會第5回會議において1982年12月4日に正式に採択され公布された。この憲法は1954年の憲法を基礎とし、1978年の憲法に存在する欠點を修正し、改革開放と社會主義の現代化建設に適応した新たな規定を付け加えた。
八二年憲法の主な內容は次の通りだ。國家の性質を「プロレタリアート獨裁」から「人民民主的獨裁」に回復する。知識人を労働者、農民と並列して社會の三本の基本的な力として並べる。國家主席の設置を回復する。中央軍事委員會主席を全國人民代表大會で選出する。國務院は総理責任制を実行する。國家、全國人民代表大會、國務院の指導者は2期を超えて連続して就任することはできず、指導者の職務の終身制を廃止する。「公民の人格の尊厳は侵されない」という條文を新たに増やす。國営、集団、個人の三種類の経済はどれも欠けてはならないことを承認し、國家が個人経営経済の合法的権益を保護することを表明するなど。
「八二年憲法」は改革時代の法制建設の幕を正式に開け、法制建設の合法性の基礎と境界を設定し、法治國家と人権保護の追求を承諾した。「八二年憲法」の実行は、中國の特色ある社會主義法律體系と制度體系の建設に非常に重要な意味を持つ。
社會の発展の需要に基づき、それから30年余りの時間の中で「八二年憲法」は1988年、1993年、1999年、2004年、2018年に5回改正された。最新の改正は2018年第13期全國人民代表大會が採択した第5回憲法改正案だ。今回の憲法改正は新時代の全面的な法に基づく國家統治を推進する堅実な一歩で、事業発展の需要に合致し、人民の願いに順応し、憲法が新時代において中國の特色ある社會主義を堅持し発展させる中で大きな役割をより発揮するのに役立つ。
「一國二制度」
「一國二制度」とは「一つの國、二つの制度」ということで、中國政府が國家の平和統一を実現するために提起した基本的國策だ。「一國二制度」の基本內容は、「一つの中國」を前提に、國家の主體が社會主義を堅持し、中華人民共和國から切り離すことのできない地域だ香港、澳門(マカオ)および臺灣を特別行政區として以前から存在している資本主義制度を変えずに長らく存続させる、というものだ。國際舞臺で、中華人民共和國だけが中國代表と名乗ることができる。「一國二制度」は中國の偉大な創造で、中華民族が新たに世界の平和と発展に貢獻するものだ。「一國二制度」の方針に基づき、中國政府は1997年と1999年にそれぞれ香港と澳門に対する主権行使を回復させている。香港?澳門の祖國復帰以來、「一國二制度」の実踐は世界が認める成功を収めている。事実が立証しているように、「一國二制度」は歴史的懸案であった香港?澳門の問題を解決する最善の策で、祖國復帰後の香港?澳門の長期的な繁栄?安定を保つ最善の制度でもある。「一國二制度」事業を引き続き推進するのは、中央政府、特別行政區政府、香港?澳門の同胞を含む全國各民族人民の共通使命だ。中央の「一國二制度」貫徹方針は、①「一國二制度」は変わることはないし、揺るぐことはないという斷固とした態度をとり、②全面的に正しく「一國二制度」を守り、香港?澳門での実踐が形を変えたり、形を失ったりしないようにし、正しい方向に沿って前進する、というものだ。前人未踏の開拓的事業としての「一國二制度」は當然のことながら、順風満帆にはいかず、実踐の中でも絶えず模索を続けなければならない。
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