ホーム >> 政治 >> 本文 |
|
日本の専門家「中國共産黨の指導が成功の鍵」
|
· 2019-01-30 |
タグ: 改革開放;中國共産黨;政治 | ![]() 印刷 |
「中國の発展は日本にとってチャンスだ。私たちは美しい中國の建設と農村の振興に參加して、日中両國の互恵協(xié)力を実現(xiàn)したい」。人民日報が伝えた。
「改革開放以來、中國には天地を覆すような変化が起きた。私は中國の改革開放に関心を寄せ続けている。ここ數(shù)年は中國へ行く回數(shù)が減ったが、多くの友人がよく中國へ行き、感じた事を私と語り合っている。最近數(shù)年で中國の発展はさらにスピードアップしたと彼らは言っている」。90歳と高齢の谷井昭雄?日中経済貿易センター特別顧問は人民日報のインタビューにこう語った。
松下電器産業(yè)社長時代の1980~90年代、谷井氏は訪中を重ね、日中両國間の経済?技術協(xié)力強化に盡力した。1993年の退任後は大阪府日中友好協(xié)會や日中経済貿易センターなど民間機関で、引き続き日中間の友好交流?協(xié)力の強化に盡力してきた。
1978年10月に訪日した中國の鄧小平副総理(當時)は、松下電器の茨木工場を見學した。當時松下電器に勤めていた谷井氏は、この歴史的瞬間を目撃した。谷井氏によると、當時は日中國交正常化から數(shù)年しか経っていなかったが、松下電器の創(chuàng)業(yè)者である松下幸之助氏は「21世紀はアジアの世紀であり、アジア経済の発展は中國と切り離せない。日本は中國と手を攜えて協(xié)力し、共に発展しなければならない」との考えを堅持していた。日中両國の協(xié)力をより良く促進できるよう、松下氏は共に中國に投資するよう自ら他の日本企業(yè)に働きかけた。だが中國の狀況がまだよく分からないことから、すぐには參加しない日本企業(yè)のトップが多かった。一方松下氏は、中國の改革開放という偉大な事業(yè)に直ちに加わる立場を堅持した。これによって松下電器は、中國に進出した初の外資系企業(yè)となった。
1979年に谷井氏は松下氏の訪中に隨行し、中國の科學技術者と北京で交流した。その後40年近くの間に、谷井氏は80回余り訪中し、改革開放の歩みを自らの目で見てきた。
「中國の発展は本當に速い」。インタビュー中、谷井氏は感嘆の聲を數(shù)回上げた。谷井氏は「中國共産黨の指導が成功の鍵だ」と考える。中國共産黨の指導の下、中國は政治的?社會的安定を保ち、中國は世界に対してオープンな考えを保ち、世界各地から先進的な技術や管理ノウハウを導入し続け、改革開放は多大な成功を収めた。
谷井氏は「日中両國民には2000年以上の長きにわたる友好的交流の歴史がある。雙方は互いに學び、參考にして、各自の発展と進歩を促進した」と指摘した。「中國の発展は日本にとってチャンスだ。私たちは美しい中國の建設と農村の振興に參加して、日中両國の互恵協(xié)力を実現(xiàn)したい」。谷井氏は「中國の改革開放の成功経験は日本にとって學ぶ価値がある。中國が世界の平和と発展のために、さらに多くの力を捧げることを期待する」と語った。(編集NA)
「人民網日本語版」2019年1月30日
シェア: |
|
このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
住所 中國北京市百萬荘大街24號 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
京ICP備08005356號 京公網安備110102005860號