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35歳から77歳へ伸びた中國人の平均壽命 容易ではなかったその道のり
本誌評論員?蘭辛珍  ·   2019-09-26  ·  ソース:北京週報
タグ: 醫療;壽命;社會
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浙江省の諸曁市人民醫院入院部にて自動薬品包裝機に醫薬品をセットする薬剤師(寫真は新華社の韓伝號記者が撮影)
 35歳と77歳、これは1949年と2018年の中國人の平均壽命だ。

1949年に中華人民共和國が成立した際、中國人の平均壽命は35歳に過ぎなかったが、2018年には77歳に達した。70年の間に中國人の平均壽命は倍以上になった。現在、中國の一部の地方では100歳以上の高齢者も珍しくない。 

35歳から77歳へと壽命が伸びたことは質的な飛躍であり、それが體現するものは中國経済?社會の進歩、中國の平和的な発展環境の持続、さらには中國の醫療衛生事業の極めて大きな変化だ。 

病気になり醫者にかかるのは、人類社會における文明の発展のあらわれだ。しかし70年前、醫者と薬が不足していたことから、中國人は病気になってもすぐに治療を受けられなかった。中華人民共和國成立前の數十年間、中國は長い戦亂を経て、公共衛生システムはほとんど無きに等しいものとなり、長期に渡って肺炎やマラリアなどさまざまな伝染病が広く蔓延し、寄生蟲感染癥の広がりが深刻だった。 

このような狀況に対し、新たに成立した中國政府は公共衛生システムの構築から著手し、國?省?市?県を含む各級の衛生防疫施設、婦人?幼児の保健施設、衛生宣伝教育機関を速やかに設立し、財政支出によってそれらの機関のための安定的な資金源を確立した。一般的な衛生防疫システムの創設だけでなく、中國は徐々に結核予防治療所、皮膚病予防治療所など各級の専門的な予防治療所も設立し始めた。この期間、中國の公共衛生サービスは基本的に無料だった。1960年までに、中國は住血吸蟲病、ペスト、また克山病やカシンベック病といった風土病をほぼ予防?制圧した。そして次第にポリオ、麻疹、日本脳炎、ジフテリア、破傷風、百日咳、結核などに対して接種による予防?治療が押し進められた。1970年代後半に至り、中國では衛生防疫、風土病の制圧、婦人?幼児の保健、出入國時の衛生検査?検疫などの面で全面的な公共衛生システムがほぼ組み立てられ、國民の健康指標も大きく改善された。 

當時の中國はまだ「計畫経済」體制を敷いており、西側社會は一貫して中國の計畫経済を非難していたが、現在振り返ってみると、當時においては計畫経済體制こそが、中國が全國的な公共醫療衛生システムの構築、全面的な伝染病の予防?制圧、人々の健康水準の向上に力を集中できるよう、確実に保証していたのだ。1978年にアルマトイで行われた會議において、世界保健機関(WHO)は中國の衛生発展モデルを初級衛生保健の模範として全世界に推奨した。その中で、主な功績とされたのは公共衛生事業の構築だった。 

しかし、「計畫経済」時代の醫療衛生保障システムは都市と農村で明らかな差が存在しており、都市住民は醫療費をほぼ支払う必要がなく、國家財政による負擔だった。農村住民が醫者にかかる際には村が負擔したが、それは農民自身の労働所得によるものだった。中國の醫療衛生システムは経済體制の基礎の上に打ち立てられ、改革開放後に計畫経済體制から市場経済體制へと変わっていき、中國の公共衛生醫療システムも経済體制の変化とともに改革が推進され始めた。 

中國は何度も模索と試みを推し進め、醫療保険制度改革、醫療衛生體制改革、醫薬品生産流通體制改革など公共醫療衛生システムの構築に関連する一連の改革を展開し、最終的に醫療衛生分野の「四大システム」の構築を確定した。都市?農村住民をカバーする公共衛生サービス、醫療サービス、醫療保障、醫薬品供給保障の4つのシステムは、中國の特徴に合った醫療衛生システムだ。

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