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【40代から始める日本人の中國生活の記録】中國の日系飲食店チェーンに物申す!
本誌記者?植野友和  ·   2022-09-01  ·  ソース:北京週報
タグ: 料理;飲食;中日交流
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長く異國を旅していると、ふとふるさとの料理を味わいたくなることがある。そんなとき、日本から遠く離れた國の繁華街でふと壽司屋を見つけたら、ふらりと入ってしまうものだ。

ところがメニューを見たら日本語の間違いだらけで、出てくる壽司は味がどうこう以前に、「ここの料理人は日本に行ったことがないのでは」「そもそも壽司を食べたこともないのでは」と思わざるを得ないひどいもの。自分は東南アジア各國で、このような不運に何度遭遇したか分からない。

それから時が流れ、最近はもうそんなアクシデントに見舞われることもほとんどなくなった。筆者が現(xiàn)在住んでいるのは北京市で、プロの日本人料理人が経営する店もあれば、中國の人々が営む日本料理屋のレベルが上がっていることも大きい。それに加えて、日系飲食店チェーンが數(shù)多く進出してきている。日本で働いていた頃にさんざん利用していたラーメン屋、回転壽司、弁當屋、レストラン……コストパフォーマンスが高く、いつ行っても味が変わらない不動のおいしさが魅力である。

自分はこれらの日系飲食店チェーンに、ここ數(shù)年でどれほど世話になったことだろう。新型コロナの感染対策で気軽に出歩けなかった頃は、月イチ程度で「麺屋武蔵」のつけ麺を出前で取り、妥協(xié)のない味に感動した。また、「ほっともっと」(中國語では「好麥道」)はどうしても日本ののり弁を食べたくなった時の頼みの綱。日本の庶民の味を中國でしっかり再現(xiàn)しており、おいしさだけでなく企業(yè)努力に頭が下がる思いがした。

しかし、以下は全て筆者個人の意見という前置きで話すが、全ての日系飲食店チェーンが手放しで稱賛できるわけではない。そもそも飲食店チェーンというのは、どこの店でも同じ味を出せるのが強みであり、魅力でもあるはず。具材を一括調(diào)達し、調(diào)理方法などは全てマニュアルが完備されていて、オペレーションなども統(tǒng)一されていなければ、それはもはやチェーン店とは呼べないとすら思う。つまり何が言いたいかといえば、日系飲食店チェーンとて同じ看板を背負っているなら日本と同等の味を出してしかるべきということだ。

言うまでもなく、進出した國によってはそこに住む人々の味の好みが日本と異なり、料理のローカライズが必要なことはあるだろうし、現(xiàn)地に合ったメニュー開発も積極的にあっていい。だが、日系飲食店チェーンの一部には、日本ではないのだからこの程度の味でいいだろうといった一種の手抜きを感じることがある。

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