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ムウス砂漠が陝西省域內(nèi)から「消失」
植えられた木を1メートル間隔で並べると地球の赤道54周分に |
· 2020-04-24 · ソース:人民網(wǎng) |
タグ: 砂漠;緑化;社會 | ![]() 印刷 |
間もなく古希を迎える「全國砂漠化対策の英雄」の石光銀さんは4月22日、いつも通り陝西省楡林市定辺県狼窩沙で忙しく働いていた。彼は陝西省北部の「砂漠緑化」プロセスをその目で見つめ、また自らも參加してきた。今、彼の願いはついに葉えられた。陝西省林業(yè)局は同日、楡木市の砂漠緑化率がすでに93.24%に達したことを明らかにした。これは、毛烏素(ムウス)砂漠が陝西省域內(nèi)から「消失」しようとしていることを意味する。陝西日報が伝えた。
國家林業(yè)?草原局の張建龍局長は、「中國の砂漠化対策は楡林市から始まった。楡林市の砂漠化対策の成功経験は、中國だけでなく世界の砂漠化対策の動向もリードしている」と評価する。
また、全國模範労働者で陝西省砂漠化対策の「先進個人」である張応龍さんは、「1000年以上の歴史を経て、オアシスは砂漠に変わってしまった。共産黨は人々を率い、70年かけてその砂漠をオアシスに戻した」と語った。
ムウス砂漠は中國四大砂漠の1つで、総面積4萬2200平方キロメートルのうち半分が陝西省楡林市の域內(nèi)にある。ムウス砂漠は「人の作用によってできた砂漠」と呼ばれている。歴史上、ここはかつて水と草が豊かで美しく、牛や羊が群を成していた。しかし唐代から明?清代にかけて、人間が不合理な開発利用を行ったため、ムウス地區(qū)は次第に広く果てしない大砂漠へと変わってしまった。
新中國成立當初、「風が強く吹き、黃砂が舞って目を開けていることもできず、農(nóng)作物も育たなかった。家屋も砂に埋もれて人々は移住を余儀なくされ、砂を見つめて首を振るだけだった」というように、依然として楡林地區(qū)は劣悪な生態(tài)環(huán)境のリアルな見本のような場所だった。
緑化は楡林の人々の千年にわたる夢だった。三北防護林や天然林保護、耕地を森林に戻す「退耕還林」措置など國家重點プログラムが相次いでスタートし、ますます多くの人がこの地に目を向け、足を向けるようになった。「全國砂漠化対策英雄」である牛玉琴さんは30年以上かけて約7333ヘクタールの土地の砂漠化対策に取り組み、補浪河女性兵士治沙連は14人の歴代連長のもとで、累計800ヶ所以上の砂丘を平らにし、防風砂防林ベルトを35本作り上げた。石光銀さんは全國初の農(nóng)民株式制の砂漠化対策會社を立ち上げ、一生の事業(yè)として砂漠化対策に取り組んでいる。この土地に生きる人々は砂漠に木を植え、「勇気をもって世界を変えていく」という英雄的な気概をもって、感動的な砂漠化対策の壯挙を成し遂げてきた。
70年來、楡林地區(qū)では年1.62%というスピードで砂漠を緑地に戻し、ムウス砂漠の面積を絶えず縮小してきた。植えられた樹木を1メートル間隔で並べると、地球の赤道54周分になる。森林率は新中國成立當初の0.9%から34.8%まで向上し、陝西省の緑化面積は北へと400キロ余り広がった。
豊かな自然が戻ってくると、経済効果も現(xiàn)れるようになった。近年、楡林地區(qū)ではビニールハウス栽培や育苗、砂漠観光などが盛んになり、全市で砂漠関連産業(yè)に従事する企業(yè)?事業(yè)機関は150社以上となり、年間の生産額は4億8000萬元(1元は約15.2円)、従事者數(shù)は10萬人以上となった。
陝西省林業(yè)局の黨雙忍局長は、「自然地形としては、ムウス砂漠は本當に消失したわけではなく、流動砂丘が全て固定されたにすぎない。こうした対策成果は人工的な介入によるものであり、今後もさらに砂漠の生態(tài)をプラスの方向に遷移させ、自己循環(huán)発展を実現(xiàn)し、根本から砂漠の生態(tài)環(huán)境を変える必要がある」と語った。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語版」2020年4月24日
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