中文 | English | Fran?ais | Deutsch
 
 
ホーム 政治 経済 社會 中日交流 文化 文獻 特集
ホーム >> 社會 >> 本文
  • descriptiondescription
震災後3年で再建を果たした「ブン川モデル」はなぜ世界を驚かせたか?
  ·   2019-09-27  ·  ソース:人民網
タグ: 地震;復興再建;社會
印刷

四川大地震の震源地となった映秀鎮(zhèn)の西南の一角にある倒壊した漩口中學校では、時が永遠に2008年5月12日で止まっている。痛ましい被害をもたらした「5?12」ブン川大地震(ブンはさんずいに文)は、新中國成立以降、破壊力が最も強く、波及範囲が最も広く、救助の難度が最も大きい地震だった。その被災面積はスペインの國土に相當し、被災人口は北歐5ヶ國の人口の総和を超えた。 

2005年に米國ニューオーリンズを襲ったハリケーンでは、10年経ってもまだ住む家のない被災者が少なくなかった。2011年に起こった日本の東日本大震災では、被災地の至る所に今も震災による破壊の爪痕が殘されている。甚大な自然災害からの復興再建という世界の難題を前にして、震災から3年後にブン川の人々は落ち著いて暮らし、働くことのできるふるさとを再建し、再び経済と社會に活力を注ぎ込んでいる。

このように、震災後再建でブン川が示した「ブン川モデル」が世界を驚かせている。

再建された映秀鎮(zhèn)の様子(提供?ブン川県委員會宣伝部)。

地震発生後の救助活動から復興再建に至るまで、やらねばならないことは複雑で數多く、被災者の訴えは具體的で急を要し、そのすべてにおいて中國共産黨の執(zhí)政能力が試されることとなった。

2008年、地震発生後に黨中央は相次いで施策を決定し、指令を発した。地震後ただちに全國総動員令を出し、國家一級緊急対応プランを発動。ただちに各大軍區(qū)から部隊を招集し、全國の各種資源を被災地救援に向けるよう手配した。地震から24日後、中共中央政治局は検討を経た上で、ブン川地震災後復興再建「対口支援(比較的進んだ自治體や企業(yè)などが特定の被災自治體に対し一対一で行う支援、ペアリング支援)」を手配。地震から27日後、國務院は「ブン川震災後復興再建條例」を公布。地震から37日後、國務院は「ブン川震災後復興再建対口支援方案」を策定。地震から4ヶ月後には、震災後再建全體計畫が正式に発表され、中國は「3年でほぼ復興、5年で発展振興、10年で全面的に『小康』(ややゆとりのある狀態(tài))へ」という震災後復興再建の全體目標を掲げた。

ふるさとが破壊されるという苦しみを経験し、親しい人を亡くす悲しみを味わった被災地の基層黨員幹部は、誰もが休暇を返上し、毎日晝も夜もなく業(yè)務をこなしていった。1年で、四川省各級基層黨組織は黨員計120萬人を動員して2萬以上の支援チームを組織し、震災後復興再建の第一線で活躍し、被災者が家を建てる際の場所選び、ローン資金調達、心理カウンセリング、技術研修といった問題を解決できるようサポートし、生産を回復し、ふるさとを再建した。

桃の花が赤く咲き、柳の葉が緑に茂る羌(チャン)族の町(提供?ブン川県委員會宣伝部)。

12次のページへ
シェア:
リンク  

このウェブサイトの著作権は北京週報社にあります。掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。


住所 中國北京市百萬荘大街24號 北京週報日本語部 電 話 (8610) 68996230
  京ICP備08005356號 京公網安備110102005860號

中國語辭書: