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寫真家?齋藤康一さんが記録した中國の改革開放40年
  ·   2018-11-13  ·  ソース:
タグ: 改革開放;寫真展;社會
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北京で今月4日、日本の寫真家?齋藤康一さん(83)は「40年回顧――中國の寫真展」の開幕に合わせて北京を訪れ、このほど帰途についた。同寫真展では、1978年からの中國改革開放40年間の変遷を寫真で振り返っている。新華社が報じた。

齋藤さんは65年に初めて中國を訪問し、希望に満ちた中國に魅了された。そして、その後約50年の間に、70回以上中國を訪問し、中國の社會と國民の生活の変化をカメラに収めたことで、そうとは意識せずに、中國が改革開放を実施してからの変遷を記録してきた。

齋藤さんは、「中國の発展のスピードは想像を超えている」と振り返る。

初訪問で強いインパクト與えた中國

スーツ姿で、生き生きした瞳の齋藤さんは、どう見ても83歳には見えない。

小學生の時、齋藤さんは祖父から、「日中両國は今は戦爭をしているが、中華民族は非常に優秀な民族。皆が中華民族と仲良くしなければならない」と教えられたといい、その言葉が幼かった齋藤さんの心にしっかりと根を下ろした。

1965年、齋藤さんは、日本の青年訪中団と共に中國で交流する機會があり、迷うことなく、カメラを手に中國へ向かった。當時、中日はまだ國交が正常化しておらず、齋藤さんらはまず香港へ行き、広州を経由して、武漢、上海、北京、西安、延安などの都市を訪問した。慌ただしいスケジュールだった約40日間に見た中國に、齋藤さんは魅了され、興味津々となった。

齋藤さんはカメラを手に街中を歩き回り、撮影したいと思う市民を見つけると、身振り手振りで交流したという。また、それら市民に親しみを感じてもらえるようにと、人力車を引く車夫が著ている服を身にまとった。北京の前門で遊んでいる子供や訓練を受ける上海の民兵、広州の街中の車夫、延安の川辺で洗濯をする女性など、齋藤さんは、そのカメラを庶民の生活に向け、非常に貴重なシーンを捉えてきた。

齋藤さんは初めての中國旅行で撮影した寫真を寫真集「1965年中國」に収め、その忘れがたい経験はまた、斎藤さんがその後何度も中國へと足を運ぶ原動力となった。

初めて中國を訪問した時の印象について、齋藤さんは、「この大きな國は5年後どう変わっているのだろう?10年後、30年後はどうなっているのだろうと考えた」と振り返る。

想像を超える発展スピードの中國

76年、齋藤さんは日本のメディア関係者と共に上海を訪問した。その時は、1回目の訪問と比べて、ずいぶん楽だったという。なぜなら中日両國を結ぶ定期便が72年の中日國交正常化をきっかけに開通したため、東京から直接上海に飛行機で行くことができたからだ。その後の數十年間、齋藤さんは仕事の合間を見つけては中國を訪問し、その様子をカメラに収めてきた。

上海の街中のオシャレな青年、バレエスクールの少女、忙しそうに働く民営企業の従業員、伝統楽器?二胡を演奏しながら京劇を歌う北京の老人、高層ビルに囲まれた中國の伝統的家屋である四合院など、改革開放の幕が開けた後の中國は、都市の景観から、庶民の生活に至るまで、大きく変化した。

齋藤さんは何も無い荒れ地だった上海?浦東に高層ビルがどんどん建つのをその目で見て、マンションの部屋を買うために押し寄せる人々の様子をカメラに収め、初めて分譲住宅に引っ越して喜ぶ中國の人々を目にした。そして、帰國後、寫真集「上海 '92-'93」と「北京 '95-'96」を刊行し、注目を集めた。

90年代、日本がバブルの崩壊を経験している時、中國は著実に一歩一歩前へと進んでいた。中國の発展と変化を目撃してきた齋藤さんは、「中國は経済成長を続け、世界第二位のエコノミーになった。その発展のスピードは私の想像をはるかに超えていた」と話す。

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