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青春と夢(mèng)が花開(kāi)く――中國(guó)障害者蕓術(shù)団
馬 力  ·   2015-11-23  ·  ソース:北京週報(bào)
タグ: 中國(guó);障害者蕓術(shù)団;社會(huì)
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2005年の中國(guó)中央テレビ年末恒例番組『春節(jié)聯(lián)歓晩會(huì)(春晚)』で、中國(guó)障害者蕓術(shù)団のダンス作品『千手観音』は一夜にして有名になった。この作品上演の成功により、それまでより多くの人々がこの障害者による蕓術(shù)団を知ることになった。その後、障害を持つ自分の子供をこの蕓術(shù)団に入団させる保護(hù)者が相次いだ。蕓術(shù)が子供たちの運(yùn)命を変えると信じ、子供たちが人とは違った人生を送れることを期待したのである。

12月3日の「國(guó)際障害者デー」を前に、本誌記者は北京市朝陽(yáng)區(qū)高原街にある中國(guó)障害者蕓術(shù)団を訪ねた。同蕓術(shù)団に所屬する3人の若いダンサーが、彼らの青春と夢(mèng)を語(yǔ)ってくれた。

母にねだった誕生プレゼント

2005年、春節(jié)(舊正月)。河北省衡水市のある一般家庭で、聴力障害を持つ10歳の少女、魏菁陽(yáng)さんと両親は一緒に中國(guó)中央テレビの『春晚』を見(jiàn)ていた。

「菁陽(yáng)にも希望ができた。菁陽(yáng)もきっとこの子たちのようになれる」。『千手観音』を見(jiàn)終わった時(shí)、菁陽(yáng)さんの両親は互いに抱き合い、喜びのあまり涙を流していた。そして、出演者がみな自分と同じ聴力障害者だと両親から聞かされた瞬間、幼い菁陽(yáng)さんの心にささやかな夢(mèng)が生まれた。

正常な子供と同じように育てるために、菁陽(yáng)さんが8歳の時(shí)から、両親は彼女を地元のバレエ教室に通わせ始めた。2005年の誕生日、母親からどんなプレゼントがほしいか聞かれた菁陽(yáng)さんは即座にこう答えた。「中國(guó)障害者蕓術(shù)団に入りたい」。

娘の願(yuàn)いをかなえるため、菁陽(yáng)さんの母親はとにかく試してみようという気持ちで中國(guó)障害者蕓術(shù)団に娘の資料を送った。そして待つこと2年。2007年7月、菁陽(yáng)さんの母親は中國(guó)障害者蕓術(shù)団の王晶副団長(zhǎng)から北京へ面接に來(lái)るようにという電話を受けた。とんとん拍子に話が進(jìn)み、この年、12歳の菁陽(yáng)さんは中國(guó)障害者蕓術(shù)団に入り、正式な養(yǎng)成メンバーになった。

しかしそれからの集団訓(xùn)練と生活は菁陽(yáng)さんが憧れた通りではなかった。「手話が出來(lái)なかったので、他の人と全然コミュニケーションがとれませんでした。踴っている時(shí)に音楽のリズムを感じられなくて、當(dāng)時(shí)は毎日1人でこっそり泣いていました。もうあきらめようと思いました」。菁陽(yáng)さんは當(dāng)時(shí)をこう振り返る。しかしその後、蕓術(shù)団の先生が何度も勵(lì)まし、助けてくれたおかげで、手話をマスターし、レッスンで突き當(dāng)る困難にどう直面したらいいかを?qū)Wんでいったのだという。そしてゆっくりと、菁陽(yáng)さんは両親の元を離れても1人で生活できるようになり、成長(zhǎng)していった。

2009年7月、北京の保利劇院。菁陽(yáng)さんはバレエ『眠れる森の美女』のソロを踴ることになっていた。菁陽(yáng)さんは當(dāng)時(shí)を振り返り、「あんなに大きな舞臺(tái)でソロを踴るのは初めてでした。それに建國(guó)60周年の記念公演だったので、とても緊張しました。うまく踴れないのではないかと思って怖かった」と話す。菁陽(yáng)さんは、舞臺(tái)に上がる前はずっと心臓がドキドキして、人生で初めての晴れ舞臺(tái)を成し遂げられるかどうか不安だったという。「でも突然、蕓術(shù)団に入った時(shí)に付き添ってくれた母が言った『強(qiáng)くなりなさい。常に自分を向上させる人になりなさい』という言葉を思い出したのです」。母の深い愛(ài)に満ちた言葉と先生や仲間たちの勵(lì)ましのもと、14歳の菁陽(yáng)さんは初めての舞臺(tái)で見(jiàn)事に踴りきった。「観客席から割れるような拍手が起こり、涙がたちまち頬を伝いました」。

「母の言葉をしっかり胸に刻んで、常に自分を向上させる人になります。もっと多くの知識(shí)を?qū)Wんで、社會(huì)や私を助けくれた人に恩返しがしたい」。20歳の菁陽(yáng)さんは自分の將來(lái)について記者にこう語(yǔ)った。

いつでも希望を持ち続ける

「2014年の春節(jié)はキューバに公演に行きました。公演したのは標(biāo)高が高いところだったので、ひどい高山病になりました。リハーサルでちょっと踴るとすぐにトイレに駆け込んで吐いてしまい、そのたびに酸素吸引しました」。蕓術(shù)団の「ラテンクイーン」と呼ばれる祝悅さんの言葉に記者は強(qiáng)く引きつけられた。

21歳のラテンダンサー、祝悅さんは黒竜江省チチハル出身。2006年、祝さんの両親は彼女を中國(guó)障害者蕓術(shù)団に入団させた。だが、手話ができなかったのと、知らない環(huán)境への恐怖のために、それほど経たないうちに、両親はまた祝さんを北京から連れ帰ることになった。

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