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◇帰國(guó)6年、中國(guó)の旋律に酔う◇
~陽(yáng)二蓮さんの25周年コンサートを聴く~
元南京大學(xué)日語(yǔ)科教師?斎藤文男  ·   2019-06-18  ·  ソース:北京週報(bào)
タグ: 東京;音楽;中日交流
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◇テーマは変えても伝える歌心は変わらず◇

陽(yáng)二蓮さんは、歌の説明や歌に込めた気持ちなども披露しながらステージを盛り上げていた。私は日本に戻ってからは、中國(guó)の歌を生で聴く機(jī)會(huì)はほとんどなかったので、久し振りの中國(guó)の旋律を體全體で受け止め、南京への望郷の念が急速に強(qiáng)まり“故郷”がいっそう戀しくなった。

毎年リサイタルを開(kāi)催してきた陽(yáng)二蓮さんは、これまでいろいろな機(jī)會(huì)を通じて、日本の人たちに中國(guó)の歌を中國(guó)語(yǔ)で、日本の歌を日本語(yǔ)で歌ってきたが、「二つの國(guó)の歌に心を込めて歌っています。歌に國(guó)境はありません」という。これまでの歌を通じた活動(dòng)の中で、最も印象に殘っているのは、日本人の殘留孤児を育ててくれた中國(guó)人養(yǎng)父母への慰問(wèn)活動(dòng)だったと回顧する。「自分が母親になって、赤ちゃんにはお母さんの力が絶対に必要なことが分かった。養(yǎng)父母のみなさんは、“あの時(shí)、畑の中から連れて來(lái)なければ必ず死んでいた。”と話しています。自分たちも厳しい當(dāng)時(shí)の生活の中で、日本人孤児を本當(dāng)に良く育ててくれました。」と感謝の気持ちをずっと持ち続けている。 

養(yǎng)父母へ20年間続けた慰問(wèn)活動(dòng)を通じて、平和の大切さと國(guó)を超えた母子の愛(ài)情の強(qiáng)さを痛感した、という。12年前、私が慰問(wèn)活動(dòng)に同行した際、一行は中國(guó)?ハルビン市に住む養(yǎng)父母を訪問(wèn)した。日本に永住帰國(guó)した孤児から養(yǎng)父母への手紙を託されていた。陽(yáng)二蓮さんは、日本の「かあさんの歌」を歌った後、養(yǎng)父母の前で手紙を中國(guó)語(yǔ)に訳して読み上げた。 

「お母さんは日本人の私を、他の姉妹とまったく同じように育ててくれました。私だけが日本に帰り、何の親孝行も出來(lái)ないでごめんなさい」。途中からは涙聲になりながら伝えていた。

「中國(guó)の養(yǎng)父母や戦爭(zhēng)と平和について、歌を通じて伝えたい」と力を込める陽(yáng)二蓮さん

「慰問(wèn)活動(dòng)で私自身も人間的に成長(zhǎng)しました。中國(guó)の養(yǎng)父母のことや戦爭(zhēng)と平和について、歌を通じてこれからも多くの人に伝えたい。」 

「陽(yáng)二蓮歌の世界」のコンサートは、テーマを変えて今後も毎年開(kāi)催されるが、伝える歌の心は変わらずに続けていくと決めている。(寫(xiě)真はすべて東京中國(guó)歌舞団提供)

「北京週報(bào)日本語(yǔ)版」2019年6月18日

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