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菓子作り伝え3代 老舗「復(fù)茂餅家」100年の物語(yǔ)(一)
本誌記者 馬力  ·   2017-09-19
タグ: 老舗;菓子作り;文化
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1930年代初め、郭誠(chéng)猷さんは莆田城門の近くにある文峰宮大路街に店舗を借り、復(fù)茂餅店の支店を開いた。當(dāng)時(shí)、郭誠(chéng)猷さんの支店は獨(dú)立経営で、損益について自分で責(zé)任を負(fù)っていた。「祖父は復(fù)茂の経営理念をしっかりと引き継ぎ、誠(chéng)意をもって経営し、老人や子供をだますようなことはしませんでした。絶えず新しいものを作り出して、たちまち莆田の中國(guó)式菓子と西洋菓子を扱う店の中で一番大きく、一番有名な店になったのです」。

しかし人生そう良いことばかりは続かなかった。1940年代初め、大いに繁盛していた郭誠(chéng)猷さんの店を突然大火が襲う。その大火事で復(fù)茂は壊滅的な打撃を被った。「文峰宮の近くで大火事があり、通りの店舗數(shù)十軒がすっかり焼失。祖父の店も難を免れられませんでした」。しかし郭誠(chéng)猷さんはこの大火事でへこたれることはなかった。數(shù)カ月後、再び陣容を整え、古譙樓と呼ばれる鼓樓の西側(cè)に新たに「復(fù)茂餅家」を開いた。

「祖父には5男4女がありましたが、菓子作りに魅せられたのは父だけでした。父は中學(xué)も卒業(yè)しないうちに祖父について菓子の商売を始め、巧みな技を祖父から學(xué)びました」。郭継光さんによると、當(dāng)時(shí)の復(fù)茂餅家は市內(nèi)の多くの菓子店と同じく、店で菓子を売り、その奧の作業(yè)場(chǎng)で菓子作りをする家內(nèi)制手工業(yè)だった。祖父の郭誠(chéng)猷さんと父の郭意得さんが二人で心を合わせ、懸命に努力したおかげで、商売は日増しに繁盛するようになっていった。

「1949年に新中國(guó)(中華人民共和國(guó))が建國(guó)されると、祖父と父が経営する復(fù)茂餅家は公私合営になりました。祖父は郊外の購(gòu)買販売協(xié)同組合に配屬されて郊外の菓子工場(chǎng)で生産の仕事をするようになり、父は莆田の県城(県政府所在地)にある菓子工場(chǎng)の技術(shù)幹部になりました。その頃、父と祖父は顧客の要望に応えて、よく夜に菓子を作ってあげていました」。郭継光さんは、「祖父と父が數(shù)十年一日のごとくしっかりと守り続けてきたからこそ、復(fù)茂の菓子作りの技を伝えることができたのです」と話す。

「北京週報(bào)日本語(yǔ)版」2017年9月19日

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